イタリア旅行記3日目

ローマ→フィレンツェ(9)

イタリア看板事情

メディチ家礼拝堂の「新聖具室」というメディチ家の墓は、ミケランジェロの設計によるものであり、彼の有名な彫刻が設置されている。教会と図書館、礼拝堂は全て一つの建物に連なっているのであるが入口は別々である。わたしたちは再び教会の正面に出てから、礼拝堂の入口を求めて裏の方に歩き始めた。礼拝堂の入口らしき扉の前には、社会見学の最中なのか大勢の小学生がたむろしていて、わたしたちは彼らをかき分けていかなくてはならなかった。
「スクーズィ、スクーズィ…」イタリア語で「失礼」「すみません」の意である。電車内などの人混みにおいて日本人のように無言で人をおしのけていくのはイタリアでは非常識、大変失礼なことなのである。人に通してもらいたいときには「ペルメッソ(permesso)」という言葉があるが、わたしはこの時点ではその言葉を使っているのを聞いたことがなかったので「スクーズィ(scusi)」の方を使ったみたのである。

入口に到達すると若い男がわたしの行く手を遮った。「□×△@○×」わたしたちが来た方とは反対を指さしながら話す男の言葉はイタリア語であり、何を言っているのか不明であるが、男の身振りからするとどうやらここからは入れないらしいのだ。しかしガラスの扉越しに進路のようなものが見えている。
「ここは入口じゃないの?」確認してみようとわたしが英語で尋ねると彼はそうだという。なんだそうだったのか間違えるところだった。
「グラッツェ!」わたしは笑顔で礼を言うと、男の指さした方向に歩き出した。
「にゃんだ、げんげん? あそこは入口じゃなかったのか?」
「そうらしいよ。ガイドブックの地図は入口が分からなくて不便だなあ」
これはイタリアに限ったことではないのかもしれないが、観光スポットとなっているものは必然的に歴史的な建物が多いので、目立つ看板をつけることが出来ないのではないだろうか。もちろん中世からそのままの状態で残っている景観を壊さないようにという理由も大きいだろう。美術館の入口などでは看板の代わりに、すぐに取り外し・交換の出来る幕を張っているとのをよく見かけた。イタリアに旅立つ2週間前まで工芸社で看板を作っていたわたしは、職業病的にそんなところにも注目しながら異国の街を歩いていた。

イタリア人にだまされた!

「だんだん歩き疲れてきたニャア…」
わたしたちは先ほどの男が指した方向へと建物の周りを歩いていたが、さっぱり入口らしきものがあらわれない。いったいどうなっているのだ。様々な施設の集合体であるサン・ロレンツォ聖堂の建物は巨大であり、一区画を占有してしまっている。1周するとなるとかなりの距離を歩くことになる。しかしわたしたちはとうとうもとの教会正面に出てきてしまった。
「あーあ…、さっきの男にだまされたんじゃニャいのか?」みけはその場に座り込むと、肩肘をついてわたしを睨みつけた。
「わたしも怪しいとは思ったんだけど…。もう一度さっきの所に行ってみよう」
わたしたちが先ほどの道を再び歩き出すと背後で叫び声がし、バタバタと人の走る足音。
「なんだっ!?」身の危険を感じたわたしが振り返ると、道ばたで物を売っていたらしい黒人の男が、脇に段ボールを抱えて走ってくるではないか。おそらく警官から逃げてきたのであろう。彼は追っ手を振りきったのか、笑みを浮かべてそのままどこかへ歩いていった。売っている物が違法なのか売ること自体が違法なのか分からないが、彼らはすぐに商品をたたんで逃げられるように、段ボールを二つ折りにしてつくった板に商品をくくりつけている。

先ほどの扉の前まで来ると、もう小学生の群れもわたしを遮った男の姿もなくなっている。どう考えてもここ以外にメディチ家礼拝堂の入口は考えられないので入っていくと、やはりここで正しかった。やられた!!

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