イタリア旅行記3日目

ローマ→フィレンツェ(10)

メディチ家礼拝堂

入場料13,000リラを払い中に入る。薄暗い1階には絵画が展示されている。奥の階段を上った2階には「君主の礼拝堂」がある。緑色の大理石が美しい八角形の空間である。天蓋から下げられた地球儀のつくりが雑なのが気になった。そこから別の階段を下りたところが、ミケランジェロの彫刻を多数納めたメディチ家の墓廟「新聖具室」だ。

「ニャっ!! また何か工事してるじゃにゃいか!」新聖具室に入るなりみけが叫んだ。部屋の中心に、天井まで届く足場がくんである。丸屋根の修復をしているらしいのだ。新聖具室の3方の壁面はミケランジェロの彫刻で飾られたメディチ家の墓碑、残りの1方が祭壇になっているのだが、この足場のせいで空間全体を見渡すことも、すこし下がって彫刻を見ることも出来なくなっているのだ。ここもミレニアムに向けての修復工事なのであろう。
「まあ、仕方ないよ。それよりもほら、ミケランジェロの有名な…」
「ニャニャっ!? 工事以外にもなにかやっているぞ!!」みけがまた大声を出した。見ると墓碑の一つ、どこの学校の美術室にもある首の長い石膏像─通称「メディチ」─でよく知られているジュリアーノ・デ・メディチの墓碑の前に、なにやら怪しげな装置が設置されているではないか。墓碑の脇では青年がコンピュータで装置を操作している。
「なにか解説が書いてあるぞ。『デジタル・ミケランジェロ・プロジェクト』だって」わたしは日本語を含めた4カ国語で書かれた解説のポスターをみけのために読んでやった。「ミケランジェロの彫刻を3Dのデータに変換して永久に保存しよう、という計画らしいよ。ノミの筋まで正確にスキャニングしているんだって」
「ほう。データ化しておくと何かいいことがあるのかにゃあ?」
「そうだなあ、万が一彫刻が破損した場合にも、もとの形状がわかるでしょ。複製を作るのも簡単になるよね。あと、日本にいても家のパソコンで彫刻を鑑賞出来るようになるんじゃないかなあ」
「それはいいかもしれないニャ!」

墓碑の前に置かれたスキャナから出されている赤い光の筋が、ジュリアーノの足下に横たわる「夜」の擬人像の表面を撫でていく。興味深そうに光を見つめるみけの頭も光の動きに同調して動いている。
「お兄さん頑張ってね!」みけはコンピュータを操作しているスタッフに声をかけた。「でもせっかく日本から見に来たのに、この機械は結構ジャマ」

首が異様に長いジュリアーノ像の足下、彼の棺の上に「夜」と「昼」の擬人像が横たわっている。その向かい側には同じ様式でロレンツォ・デ・メディチの墓碑がある。彼の棺の上に横たわるのは「黄昏」と「曙」の擬人像だ。
「ミケランジェロはジュリアーノとロレンツォの像を、彼らの外見を全く無視して彫ったのニャ」
「つまり、ぜんぜん似ていないってこと?」
「奴は彼らの精神性を大理石に託したのニャ。当然『似てね〜』という批判もされた。それに対して奴は『容貌を覚えている者などすぐにいなくなるんだから外見の模倣など意味がない』と反論したのニャ。500年経った今、奴の方が正しかったことが明らかだニャア」
新聖具室の祭壇は少しくぼんだ所にある。祭壇わきの壁は、あきれたことに落書きでいっぱいだ。今のところ新聖具室にはわたしたちを含めて10人ほどの客しかいない。日本人の姿はなかった。さっきから熱心に彫刻をカメラで撮影している、すこし頭のはげた白人のおじさんがいる。彼のことを仮にアウレリオ・アメンドラさんとしておこう。一眼レフのカメラであっちを撮影し、こっちを撮影しとしているアウレリオ・アメンドラさんは、わたしの目にはイタリア人なのか外国から来た観光客なのかはわからない。しばらくすると中学生ぐらいの若者の団体数十人がどやどやと入ってきた。美術の勉強だろうか歴史の勉強だろうか。どちらにしてもここは大変恵まれた環境でありうらやましいかぎりだ。しかし彼らはあまり彫刻には興味がなさそうである。思い思いにおしゃべりなどをしている。はやく帰ってくれないかなあ。

「ミケランジェロとこの礼拝堂の経緯を詳しく話すと長くなるので省略するが、一つ、気を付けておかなくちゃならない事があるのニャ」みけがロレンツォの像を見上げながら話し始めた。「このロレンツォ・デ・メディチとジュリアーノ・デ・メディチの二人は、有名な“豪華王”ロレンツォ・デ・メディチと、その弟で大聖堂で暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチとは別人なのだ」
「は? なんかややこしくて良く分からなかったんだけれど」
「フィレンツェを支配しミケランジェロを見いだした“豪華王”ロレンツォと、その弟でありパッツィ家により暗殺されたジュリアーノの事は知っているか?」
「歴史のことは詳しくないけれど。それがこの二人だろう?」わたしは向かい合う二つの墓碑の彫像を見比べた。
「それが、そうじゃないのニャ。この彫刻に彫られているジュリアーノ・デ・メディチとロレンツォ・デ・メディチは、その二人とは同姓同名の別人28号なのニャ」
「ええ〜っ!? そうだったのォ?!」
「ここに彫られているジュリアーノは、ロレンツォ豪華王の子で“ヌムール公”と呼ばれているジュリアーノなのだ。このロレンツォは、豪華王の孫“ウルビーノ公”ロレンツォその人ニャ」
「や、ややこしい…。どうして同じ名前をつけちゃうんだろう…」わたしはくせ毛の頭をかかえた。

「さらにややこしさに拍車をかけているのが、豪華王とその弟ジュリアーノも、ちゃんとこの部屋に眠っているということニャ」みけは祭壇の向かい側の壁に設置されている、3体の彫刻の前に立った。「ここがそうニャ」
「こっちはずいぶんと地味というか手抜きというか、ただ棺の上に像を3体並べただけに見えるね」

ざわざわざわざわ……。退屈しているのであろう、学生の団体のおしゃべりがだんだんとうるさくなってきていた。祭壇の登り口にすわりこんで話している者までいる。そのとき怒号が響いた。
「□×△@○×ー!!!」写真を撮っていたアウレリオ・アメンドラさんが、彼らのマナーの悪さにとうとうキレたのだ。学生たちを叱りつけるアウレリオ・アメンドラさん。シュンとする学生たち。アウレリオ・アメンドラさんのおかげで、新聖具室の中は静けさを取り戻した。アウレリオ・アメンドラさんに「グラッツェ、グラッツェ云々……」と、お礼を言っているおばちゃんがいる。彼はイタリア人だったのだなあ。
「ニャハハハハ! 痛快だなあ、げんげん!!」
「大きな声を出すんじゃないっ!」
わたしたちはメディチ家礼拝堂を出ることにした。帰りがけに1階の売店で、日本語版のミケランジェロの画集を2冊買った。

〈補足〉ミケランジェロの隠れ家

旅行に行った当時の私は知らなかったのですが、メディチ家礼拝堂の地下には「ミケランジェロの隠れ家」と呼ばれる小部屋があります。1530年、フィレンツェ共和国はドイツ皇帝軍に占領され、共和国の指導者たちは逮捕・処刑されました。共和国の防衛軍司令官だったミケランジェロは逃亡し、そのときに身を隠したのがこの部屋なのです。部屋の白い壁には、ミケランジェロの描いたデッサン、落書きが残っています。この部屋が発見されたのはごく最近、1975年のことでした。

わたしがこの部屋の存在を知ったのは森下典子「デジデリオ 前世への冒険」(集英社文庫)という小説の中ででした。メディチ家礼拝堂の受付で申し込めばこの部屋を見せてもらえるそうです。小説では、保存処理をしていないのであと数年でデッサンは消えてしまうと書かれていました。それを信用すれば2001年現在ではとっくに消えてしまっているはずですが、どうなっているのかは分かりません。

数多くあるミケランジェロの作品集を開いてもなかなかこの部屋のデッサンは載っていないのですが、青木昭「図説ミケランジェロ」(河出書房新社・ふくろうの本)で写真を見ることが出来ます。先日NHK BSで放送された『イタリア美の回廊』ではこの部屋の映像が流れ、私は大変興奮してしまいました。

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